ブリ

なぜブリは養殖ができるの?

今や養殖ものは、日本のブリ消費量の8割にも達します。ブリと同じ回遊魚であるマグロやカツオなどが、養殖が難しいのに対し、なぜブリは養殖ができるのでしょうか?
実は一般的な回遊魚は泳ぎながら海水を取り入れてエラ呼吸をしているため、泳ぎ続けないと死んでしまいます。しかし、ブリは止まっていても金魚のように口をぱくぱくさせて海水中の酸素を取り入れることができるので、遊泳範囲が区切られる養殖でも、弱らずに育てることができるのです。
ちなみに、養殖ものは回転寿司で回らないと言われています。
養殖ブリの若魚であるハマチは、九州や瀬戸内海が主な養殖場となっています。養殖のハマチは、イワシをエサにして短期間で太らせて出荷するので、当然値段も高くなり、水っぽくもなります。養殖ハマチでも、獲れたては身が締まっているのですが、少し時間が経つと身が柔らかくなり脂っぽくなってしまいます。だから作り置きの回転寿司では、ハマチは決して回っていません。お店の人にオーダーして握ってもらいましょう。

※関西や関東など地域によっては、ブリや若魚の養殖ものをハマチと指す場合があります。
※関西や関東など地域によっては、ブリや若魚の養殖ものをハマチと指す場合があります。

ブリの子じゃない「ブリコ」の話

秋田の名産「ハタハタ」の卵は、ブリコと呼ばれます。タラコがタラの子どもであるように、ブリコと聞くとブリの子どもと勘違いする人もいるかもしれません。なぜこのような名前がついたのでしょうか。
まずは、丸くて歯ごたえのあるブリコの卵は、噛むとブリブリと音がするから、という説があります。
また、安土桃山時代の秋田藩主であった佐竹義宣さたけよしのぶにまつわる説もあります。もともと水戸藩主で、ブリが大好物だった佐竹氏ですが、秋田に左遷されてからは、ブリが手に入らなくなりました。そこで、ブリの代用としてハタハタを食していたことから、ハタハタの卵をブリコと名づけたのだそうです。

Fのさかな2号ブリより

タチウオ

タチウオと江戸の小咄タチウオと人工真珠

タチウオの身体を覆い、銀色に輝くグアニン。昔はこれが人工真珠の材料として使われていたのをご存知でしょうか。アコヤ貝などから採られる天然の真珠は、あまり産出されることのない珍しさもあって、古くから世界各地で宝石として珍重されてきました。「月の雫」「人魚の涙」と讃えられる美しい光沢は、今も昔も人を惹き付けてやみません。
そんな真珠の輝きを手軽に味わえるのが人工真珠です。

人工真珠の歴史は意外に古く、17世紀半ばのフランスで中空のガラス玉の内側に魚のウロコから造られた真珠箔塗料(パール・エッセンス)を塗り、さらにロウを詰めたのが始まりとされています。
日本では、明治末期に貿易商であった大井徳次郎がフランス製の人工真珠の研究を平賀義美に依頼したのが始まりだそうです。
初めのうちは、タチウオなどから採られるグアニンをセルロイドに練り込み、それをガラス玉の外側に塗り重ねることで人工真珠が作られていました。

グアニンによってキラキラと輝く人工真珠はとてもよく出来ていたそうですが、次第に鉱物から科学的に作られる人工パール・エッセンスをガラス玉やプラスティック玉に塗る方法に変わっていきました。
おかげで人工真珠は安く、大量に圴一の品質で作られるようになったのです。
とはいえ、現在でも人工真珠の高級品として名高い「マジョリカパール」では、魚のウロコから作られるパール・エッセンスが使われています。

天然真珠に、魚由来のパール・エッセンスを使った人工真珠、工業製品としての人工真珠。
価値はそれぞれ違いますが、選択の幅があるというのはとても素晴らしいことではないでしょうか。

猫が追い払った、真夜中の泥棒

ある夜のこと。
店の主人が物音に気付いて眼を覚ますと、そこには夜目にもギラリと光る、抜き身の刀をさげた強盗が。「金を出せ!」と脅された主人はもう恐ろしくて恐ろしくて、布団をかぶってガタガタガタと震えるばかり。
「もう駄目だ…」と観念していると、何とそれまで足元で寝ていた飼い猫が、強盗の持つ刀めがけて飛びかかる。その勢いに驚いた強盗が逃げ去ると、主人は何とか一安心。
「俺をかばって強盗に立ち向かうとは何と感心な猫だろう、どれ一つ褒めてやろう」
布団から出て猫を見ると、猫は刀にかぶりつき、何とも旨そうに食べている。
不思議に思った店の主人が側に寄ってよくよく見ると、それは何と刀ではなくタチウオ…。
強盗も店の主人も猫一匹に叶わない、そんなお話。

Fのさかな31号タチウオより

オコゼ

オニオコゼの別名

オニオコゼは、その容貌と毒のせいで印象が強いためか、各地方によって様々な名で呼ばれています。広島県の「オコジン」や新潟県の「オコジョ」はオコゼが訛ったものですが、静岡県では「ボウチョオカサゴ」と呼ばれます。「ボオチョオ」とは方言でカサブタのことで、「カサブタのあるカサゴ」という意味になります。オニオコゼの見た目をよく捉えた呼び名です。淡路島では「イジャジャミ」と呼ばれます。漢字では「棘棘魚」または「苛苛魚」と書き、元々は「イライラミ」と呼ばれていたものが訛ったと言われています。こちらはオニオコゼが持つ毒のトゲから名付けられた呼び名だと思われます。和歌山県では「ツチオコゼ」と呼ばれます。頭が大きく体が細いというオニオコゼの外見から「槌(ハンマー)のような形のオコゼ」と呼ばれたのでしょう。

どれもオニオコゼの特徴から名付けられたものですが、それぞれ着眼点が違うところが面白いところです。ちなみに英語ではDevil Stin-ger(刺す悪魔)やScorpion Fish(サソリウオ)と呼ばれます。どちらも毒のトゲから名付けられたものですが、世界中どこでもオニオコゼの印象は同じようです。

魔除けのお守り代わり?オコゼの干物

また、沖合いに棲んでいるオニオコゼには体が赤みがかっているものがいるため、漁師の間では「アカオコゼ」と呼ばれて区別されることもあるようです。さらにオニオコゼには、全国各地で「ヤマノカミ」と呼ばれたという伝承があります。かつて猟師の間では、山の奥深くで人喰い鬼婆に出会ったらオコゼの干物を投げつけて逃げろ、醜い鬼婆は自分より醜いオコゼに気を取られるので、その隙に逃げられるという言い伝えがあったそうです。そのため、魔除けのお守りとして「ヤマノカミ」と呼ぶようになったと言われています。

他にもオコゼ自身に神様の力が宿っていると考え、紙に包んだオコゼの干物に対して猟師が「獲物が穫れたら紙を開いて解き放ってあげよう」と頼むからという話や、山の神様がとてもオコゼを見たがることにつけこんだ猟師が「獲物を獲らせてくれたらオコゼを見せてあげます」と祈るからという話もあり、「ヤマノカミ」と呼ばれるようになった由来は本当に様々です。

三重県に伝わるオコゼ伝説

三重県尾鷲市の矢浜地区には二百年以上の歴史を持つ奇祭「山の神笑い祭」があり、次のような伝説が残されています。
『昔々、山の女神様と海の神様の間で山の幸・海の幸を集める勝負がありました。同数引き分けになろうとしたところにオコゼがひょっこり現れ、おかげで山の女神様は勝負に負けてしまいました。
そのせいで負けず嫌いな山の女神様はオコゼを酷く恨むようになったので、村人達は女神様を慰めるために「こんな醜いものは魚ではありませんよ」と懐に入れたオコゼをちらちら見せながら笑い飛ばすお祭りをはじめることになりました。』

いろいろなエピソードに囲まれながら、海と山を取り結ぶオニオコゼ…ちょっと不思議な魚です。

Fのさかな20号オコゼより

能登瓦

残したい能登の景観

陽光に反射して艶やかに光る黒い瓦。
雨あがりのような光沢を放つ瓦は
「能登瓦」と呼ばれ、昔から能登の民家で使われてきた。
能登を訪れた旅人は、
黒光りする瓦屋根に魅了されるという。

能登瓦
能登瓦の家並みが続く漁村

雨や雪に強い能登瓦

全国には風土に合った瓦が存在するが、能登瓦もそのひとつ。
「弁当忘れても傘忘れるな」と言われているくらいこの地方は雨が多い。
秋から冬にかけて特に多く、冬は湿気を含んだ重たい雪が降る。
そんな厳しい気象条件の下、家屋を風雨から守る瓦には耐久性が求められる。
能登瓦は1200℃の高温で焼成するため、
生地が固く締まり耐久性にすぐれている。

さらに表面だけでなく裏面にも釉薬をかけ全体をガラス質で
コーティングする。こうすることで、表面がなめらかで雪の
すべりがよく落ちやすくなるのだ。

JIS規格では釉薬瓦に分類される。一般の釉薬瓦が吸水率12%
以下なのに対し、能登瓦は7.5%(石川県工業試験場試験データ)。
瓦を通して屋根材に水分が染み込むのを防ぐ。

能登瓦
農村地帯の統一感のある家並み

豪雪地帯の御用達

能登瓦の歴史は、江戸末期にさかのぼる。
田んぼの土を原料に山から切り出した薪を燃料として、
農村地帯で生産されてきた。

江戸時代は寺や神社にしか使うことを許されなかったが、
明治に入ると民家でも瓦で屋根を葺くようになっていく。

明治・大正時代には、船で新潟や東北、北海道まで運ばれた。
寒さに強い能登瓦は、日本海側の豪雪地帯でその品質を認められ
広く普及した。今でも新潟などに能登瓦の家並みが多く残っている。

昭和初期には家内工業的にいくつもの窯元が誕生した。
昭和50年代に生産量がピークを迎えたが、
その後減少の一途をたどり、現在、石川県内では小松協栄瓦株式会社1社のみとなった。

能登瓦
陽を照り返す黒瓦

調和のとれた瓦の美

能登瓦の特徴は、なんといってもその輝きである。
築後何十年と経っている家でも、屋根を見るとまるで新築のよう。
お天気のよい日は、太陽の光を受けてつやつやと光る。

「吾妻建ち」の民家と能登瓦との組み合わせも見事だ。
吾妻建ちは北陸一帯に多く見られる、玄関のある正面側に大屋根を
載せた民家のかたちである。白壁に束と梁を格子状に組んだリズム感と
ダイナミックな屋根とのバランスが目を引く。

能登瓦
どっしりとした構えの吾妻建ち民家、もちろん屋根には能登瓦

一つひとつの美しさもさることながら、
まとまるとひとつの景色となって見ごたえがある。
能登瓦の連続した風景が見られる場所がいくつかある。
志賀町の福浦港一帯や、大沢間垣の里、輪島市門前町黒島の
家並みが代表的。他にも、能登半島をドライブすると、
そこかしこに黒瓦の家々を目にすることができる。
廻船問屋などの豪商から民家まで、構えはいろいろでも屋根に載せた

能登瓦
比較的新しい家も屋根には能登瓦を使い、景観が守られている

能登瓦が能登らしい景観を作り出している。
能登を訪れたときには、普段気にとめることの少ない屋根瓦を眺めてみてほしい。

■参考文献
 社団法人日本セラミックス協会北陸支部『北陸の瓦の歩み』能登印刷出版部 2001
 『朝日旅の百科 金沢 能登』朝日新聞社 1985
 『新修 七尾市史13民俗編』七尾市史編さん専門委員会 2003

Fのさかな31タチウオより

お寺の魚と精進料理

精進料理でタブーとされるなど、仏教と魚は縁遠い存在のように思える。しかしこの2つには、切るに切れない関係があるという。その不思議な関係を、能登でも古い歴史を持つ、
輪島市門前町の聰持寺祖院でうかがった。

お寺で見つけた魚達

仏教と魚。精進料理でタブーとされるなど、縁遠い物のように思われるが、実はおもしろいつながりがあることをご存知だろうか。
お経を唱える際に打ち鳴らす木魚はその名の通り魚をかたどった物。この木魚の起源ともいわれる物に、魚そのものの形をした魚鼓というものがある。これは修行中の雲水達に食事の時間を知らせる合図に使うものだ。なぜ魚の形をしているのか、お坊さんにうかがった。
「昔の人は、魚は目を開けたまま眠らないと思っていたんですね。目を開けたまま、怠らない、ということなんです。怠らない魚にならって、自分たちも修行を怠らないように、魚を象ったんでしょうね。」と教えてくれたのは、輪島市門前町の総持寺祖院で単頭を勤める役寮の大橋さん。「この魚鼓をぎゅっと曲げたのが木魚なんです。だから木魚は本来なら左右対称ではないんですよ。」語りながら大橋さんはやわらかにほほえむ。「禅宗では修行中はしゃべらないのが基本で、鐘や鼓の音だけで行動します。だから叩き方にもルールがあるんですよ。」と、実演してみせてくれた。座禅堂に木魚とも太鼓とも少し違う、魚鼓独特の少しこもった木の音が響きわたる。不思議と心が穏やかになる音だった。
「魚は他にもいるんですよ。」案内されたのは、法堂の正面。美しい彫刻がほどこされており、門の両側を鯉がさかのぼっている。さらにその上をあおぎ見れば立派な龍が彫られている。「登龍門の故事になぞらえているんでしょうね。」

F13-総持寺-27

天井から吊り下げられた巨大な魚鼓
天井から吊り下げられた巨大な魚鼓。お腹を長い棒で打ち鳴らすとくぐもった木と木のぶつかり合う音が、静かな座禅堂に響きわたる。

精進料理と食育

総持寺祖院は曹洞宗の寺院だが、その開祖である道元禅師は、日常の全てが修行であるとし、中でも「食」を重視していたという。この事を象徴するように、食事を作る者の心得を説いた「典座教訓」と、食べる者の心得を説いた「赴粥飯法」という書がある。これらは、今から750年以上も前に書かれたものだが、現在の食育にもつながる「食」に対する心得が記されており非常に興味深いものだ。たくさんの心得の中で特に重要なものに、三心・三徳・六味・五色・五法、そして五観の偈がある。せっかく総持寺祖院にお邪魔したので、典座を勤める藤井さんにもお話を伺ってきた。ニコニコと笑顔を絶やさず、どんな質問にも気さくに答えてくださった。

色とりどりの精進料理
色とりどりの精進料理。もちろん素材に肉や魚は使われていない。山の永平寺、海の総持寺と言われるように、クロモやワカメなど海藻をよく使う。ちなみにこれは来客用の食事で、実際に雲水達が食べている食事は、ご飯とみそ汁に油揚げだけ、などずっと簡素なものだそうだ。修行体験を通して、地元の小学生達にも食の大切さを伝えている。

「三心というのは、供養させて頂いているという喜びの喜心、老人が子や孫を想う様な老心、一歩退いて自分がおかれた大局を見る大心の三つの心こと。三徳は、軽い味あっさり味を心がける軽軟、器も何もかも綺麗にという浄潔、理に適った作り方をする如法作の三つの心得です。六味というのは、本当は苦さ・酸っぱさ・甘さ・辛さ・塩辛さの五味なのですが、パッと何味というのではなく、空気の様で、あとから思い返す様な味、淡味を加えて六味と言っています。大根の白など素材の色、白・黒・赤・緑・黄の五色を生かし、生・煮る・焼く・蒸す・揚げるの五法をもって食べる人の事を想って作りなさいよと、こういうわけですね。そしていただく時も、ただ貪るのではなく、この食事ができるまでに関わったもの全てに感謝し、自分がこの恵みをいただくに値するかを反省し、どんな食事でもありがたく、自らを生かすための薬として頂くのだと心得て、また仏の道を全うするためにいただきます、という五観の偈を唱和して、それからいただくんですよ。」

龍や鳳凰、鶴亀など、様々な生き物が彫られた法堂の勅使門
龍や鳳凰、鶴亀など、様々な生き物が彫られた法堂の勅使門。扉の両脇に数匹の鯉が滝を登る姿がある。今にも動き出しそうな迫力に思わず圧倒される。

※雲水 禅宗の修行僧の事。雲や水のようにひとところにとどまることなく、さまざまな師をたずね仏道をたずねた事から。
※単頭 雲水の指導・教育の責任者。六知事の一つ。
※典座 厨房の責任者。料理長。六知事の一つ。

Fのさかな13号サケより

コノシロ

江戸前鮨事情

江戸前鮨のコハダは、「光り物」として主役級です。諺の「鮨はコハダに止めをさす」とは、通の間では味の濃さや生臭みの強いコハダを先に食べてしまうと、後から食べる鮨の味がわからなくなるからだといいます。
コハダの塩加減、酢じめ加減は鮨職人の腕の見せどころで、その鮨屋の看板にかかわります。江戸前鮨の真骨頂、それがコハダなのです。

コハダ(コノシロ)の仕込みで職人の腕がわかると言われる江戸前鮨
コハダ(コノシロ)の仕込みで職人の腕がわかると言われる江戸前鮨

大きくなったのに安い?

コノシロはブリなどと同じ出世魚として知られます。ブリは成長に伴い市場価格もどんどん上がります。 コノシロの場合、寿司ネタで人気のシンコやコハダサイズの初物は、1キロ数万円になることもあるそうです。大きくなると更に高くなるかと思いきや予想に反して下落する一方。小骨が多いことや独特な匂いが災いするのか、大きくなるにつれて価格が下がり市場から遠ざかります。出世魚といわれる割に存在感が薄くなるコノシロです。

鮨屋のコハダ専門用語

五枚づけ→→五匹で1カン(シンコ以下)
丸づけ→→→一匹で1カン(コハダ)
片身づけ→→片身で1カン(ナカズミ)
コノシロは使わない。

韓国ではモテモテ

さて、日本で敬遠されるコノシロを焼く匂いは、韓国では大歓迎。秋になると、細かく骨切りしたコノシロを網で焼いたりフライパンで焼いたりして食べます。
韓国のコノシロは「盆に娘を呼び戻す魚」と言われます。コノシロを焼く匂いにひかれて、家を出た娘も戻ってくるというもの。コノシロを焼く匂いは、韓国では懐かしく、食べたくなる匂いなのです。

武士達に朗報

お殿様のいる江戸では、武士達はコノシロ(この城)を焼いたり食べたりすることは、とんでもないことだ!と食べませんでした。
身近な魚ながら、なかなか口にすることができなかった江戸の人々。やがてコノシロに塩をして酢でしめると旨いと評判を呼びました。
評判のコノシロを食べたいけれど…。指をくわえて眺める武士達。やがて、若魚名の「コハダ」と呼べば気兼ねなく食べられるとひらめき喜んで食べたそうな。それ以来どんなに大きくなっても江戸の人々はコノシロとは呼ばず「コハダ」と呼んだそうです。

尾びれの形で分かる泳ぎの得手不得手

コノシロなど二叉形(にさけい)の尾鰭をもつ魚は、泳ぎがとても得意です。大型魚ではカツオやブリ、小型魚ではアジやイワシなどがあげられます。逆に円形の尾鰭をもつ魚はあまり泳ぎが得意では、ありません。例えばマンボウ、ハゼ、カワハギ、淡水魚ではドジョウなどがあげられます。どうですか、納得しませんか?

このしろの尾びれ
このしろの尾びれ

コノシロにまつわることわざ

・ コノシロの昆布巻き/鮎の昆布巻とは大違い、見かけはいいが味が良くないと言う意味で、外見だけで中身が伴わないことのたとえ。
・ コノシロの背中のよう/コノシロの背は色艶がよく光沢があり美しいことから、衣服などに光沢があることをいう。
・ 一昨日漁れたコノシロ/鮮度の良くない魚を形容することわざ。コノシロは味が落ちるのが早いのでこのように言われる。
・ 秋のコノシロ嫁に食わすな/コノシロの一番旨い時期をいう。コノシロは小骨が多いので、ノドに刺さらないようにと気をつかってのこと。
・ 兄と弟(魚屋の隠語)/兄は年を取っていることから古くなった魚のこと。反対に弟は新鮮な魚のこと。同様に「お泊り」は前日仕入れた魚の売れ残り。

Fのさかな15号コノシロより

河豚の卵巣の糠漬け

実はひそかに食べられていたふぐ

日本発掘文献によると、貝塚から、多数のフグの骨が出土しています。フグは、縄文の昔からすでに食用されていたようです。しかし、安土桃山時代、朝鮮出兵の際、九州に集められた武士たちがフグを食べて多くの人が中毒死したことが原因で豊臣秀吉は「河豚食用禁止令」を発令、徳川の時代へと引き継がれていきましたが、ひそかにフグは食べられていたようです。芭蕉や一茶の俳句の中にも登場したり、「フグは食いたし命は惜しし」ということわざもあるほど、フグの美味しさが浸透していったことがうかがわれます。明治時代、時の総理大臣伊藤博文が下関でフグを食べ、その美味しさに感動し、山口県に限りフグ食を解禁します。その後フグ取扱い条例が定められ西日本を中心に全国に広まりました。

ふぐの卵巣糠漬けを加工しているのは全国でも石川県と新潟県だけ
ふぐの卵巣糠漬けを加工しているのは全国でも石川県と新潟県だけ

加賀藩とフグ

加賀藩の江戸屋敷跡(現、東京大学本郷キャンパス)から、石川県でおなじみの、イワシ、サバ、ブリ、タラの他、フグの骨がたくさん出土されています。国元で獲れた魚を何らかの方法で江戸まで運んで加賀藩士たちが、食べていたと推測されます。

金沢市立玉川図書館近世資料館に、加賀藩江戸屋敷に住んでいた武士の日記の一部が残され、フグの糠漬けのことがでてきます。江戸時代のいつとは限定できませんが、フグの糠漬けは作られていたようでした。また江戸時代中期から明治時代にかけて日本海の海運をになっていた北前船は、大阪・瀬戸内海・山陰・東北・北海道までさまざまな荷物をおろしていた記録に、「佐渡、御国より鰒の子」「鰒の子」とは「フグの卵巣」「御国」とは加賀藩の輪島港とおもわれます。フグの卵巣が積まれた港が「新潟県の佐渡」と「石川県の輪島」降ろされた港は美川。いずれもフグの卵巣を食べる習慣が現在も残っている地域です

左:加越能諸湊家人数等取調書〈金沢市玉川図書館近世史料館所蔵〉 右:加越能湊々高数等取調書〈金沢市玉川図書館近世史料館所蔵〉
左:加越能諸湊家人数等取調書〈金沢市玉川図書館近世史料館所蔵〉 右:加越能湊々高数等取調書〈金沢市玉川図書館近世史料館所蔵〉

幻の珍味

石川県は、珍味の里!なまこ・くちこ・このわた・いしり・黒作り(いか)・つるも(海藻)・等々なかでも、猛毒の「ふぐの子」を塩と糠に漬けることによって無毒化した「ふぐの子(卵巣)糠漬け」という幻の究極の珍味があります。

風味の良いことから、加賀藩主に代々珍重された、世界的にも珍しい食品は、毒を抜くためには3年という長い年月が掛かるそうです。食べても安全、深い旨味をもった「フグの卵巣」の糠漬けは、全国で石川県のみ製造することを許可されています。県より、許可を受けた資格者が、定められた基準をクリアした施設内で加工処理をしてから、毒性検査などを経て安全が確認された上で販売されています。製造するのは県内でも美川・輪島の数か所しかありません。

加賀や能登地方には古くから、沿岸で獲れた魚(ふぐ・にしん・いわしなど)を米糠や酒粕にて樽漬けする風習があり、非常食や冬場のたんぱく源として作られたようです。当時のおもかげを残す船蔵は、樽を置く倉庫として今も使われています。

Fのさかな14号フグより

能登の珪藻土100%でできた日本初の珪藻土ピザ窯

同業者が手を組み、新しいものづくり

珪藻土はおよそ二千万年前の海中で、珪藻という植物性プランクトンの遺骸が化石となり長い年月をかけて堆積してできた岩です。能登の珪藻土の埋蔵量は日本一と言われ、昔から珪藻土七輪やコンロなど珪藻土製品が多く作られてきました。昭和30年代まで家庭の調理は七輪が主流でしたが、高度成長期、技術の進歩でガスが普及し、需要は次第に減少していきました。素材としての用途である工業用耐熱レンガも、高度成長期には多くの需要がありましたが、オイルショック以降、生産拠点の海外への移転にともない需要は縮小していきました。

能登珪藻土研究会は、能登の珪藻土製品の生き残りをかけて珠洲市と七尾市の同業者が手を組み、新しい製品をつくり地域を活性化させるため2009年結成されました。年月をかけて培った珪藻土の製品づくりの知恵と技術を結集し、現代のライフスタイルに合った新しいものづくりに挑みました。

dogamak2
能登の珪藻土でできて能登珪藻土ピザ窯DogamaK2

デザイン面で金沢美術工芸大学、性能や温度データなどの技術面で石川県工業試験場、販路開拓や助成金の面では石川県産業創出支援機構のサポートと協力を受けました。

短時間で、外はパリッと中はもっちり

DogamaK2は、これまでになかった珪藻土のピザ窯という新しい発想から生まれました。
インパクトのある外観は、焼成された珪藻土を鉄で補強したシンプルながらも力強いデザイン。外観の印象はもちろん、機能性にもいくつもの工夫が凝らされ、珪藻土の持つ特徴を最大限に引き出しました。

特徴のひとつが、ピザ1枚が2分足らずという短時間で焼けることです。天井部のくぼみは、熱の対流を発生させるための工夫です。ピザを焼くときは、下からだけでなく上からも加熱する必要があります。蓄熱性の低い珪藻土で表面にこんがりと焼き色をつけるため、くぼみをつけることで熱の対流を発生させます。熱が上から下へと回り、表面にこんがりと焦げ目がつくことを実証しました。生地の中の水分は一気に気化し、外はパリッと中はもっちり焼き上がります。

珪藻土を採取する
能登半島には珪藻土の大きな鉱脈がある
珪藻土を採取する
職人がひと塊ずつ手で切り出していく

業務用にお求めやすい価格設定

試作1号では、5~7分かかっていた焼き上がり時間が、このくぼみによって2分足らずで焼き上げることが可能になり焼きむらも解消できました。
オプションで温度センサーも用意されていますので、焦がす心配もなさそうです。さらに、特殊素材を使用したグリルプレートがピザをもっとおいしく焼き上げます。 珪藻土のもつ断熱性を十分に生かした構造設計がなされているので、石窯のように外側が熱くなることもなくやけどの心配もありません。店内に設置しても、空調に影響を及ぼすこともありません。スタイリッシュなデザインは、店内の雰囲気づくりにも一役買ってくれること間違いなしです。
省エネや安全性の点でもメリットがあることから、業務用だけでなくピザパーティーなど、家庭用の用途も十分考えられそうです。価格も一般の業務用に比べ、お求めやすい価格設定となっています。
珪藻土産業で培った技術を駆使し、ひとつひとつ手加工でつくられます。あたたかみのある珪藻土の土色と鉄の黒、異素材の組み合わせが斬新な、日本初の珪藻土ピザ窯、ニューフェイスの誕生です。

能登珪藻土ピザ窯DogamaK2
オプションでキャスターも用意されています
能登珪藻土ピザ窯DogamaK2を設置した店内
能登珪藻土ピザ窯DogamaK2を設置した店内

Fのさかな24号アイナメより

能登珪藻土ピザ窯DogamaK2のお求めはこちらから

超肉厚、特大椎茸、のとてまり「のと115」

能登で育つ肉厚ジャンボしいたけ「のとてまり」

「のと115」とは椎茸の品種名で、名前を「のとてまり」と言います。超厚肉で大きく成長します。能登の気候風土で育つ「のと115」椎茸は、程よい甘みと引き締まった厚肉が特徴。直径が10cm以上にもなる特大椎茸を手塩にかけて育てる農家民宿を訪ねました。

のとてまり
のとてまり

特大椎茸「のと115」は奥能登地域で栽培されています。今回ご紹介する生産者は、奥能登の先端に位置する珠洲市三崎町「しいたけ小屋ひろ吉」の弘吉さん。ご夫婦で農家民宿を営んでいます。弘吉さんは、珠洲で釣りインストラクターをするほどの釣りの名人です。そのような人が何故椎茸栽培をしているのかって? それは若い頃青年団で活動資金作りに椎茸栽培を始めたことがきっかけで今に至っています。もう40年のベテラン。「この辺の家ではどこでも作っとったよ」といいます。

のとてまりを作っている奥野広吉さん
のとてまりを作っている奥野広吉さん

椎茸にも色々な品種があり、「115」の栽培を始めたのは10年前。寒暖差の大きい冬の能登の風土を活かした原木栽培を行っています。原木栽培の良いところは、歯ごたえがありうま味が豊かなところ。
冬場に保温のためのビニールがけを1個1個丁寧に被せます。この作業によって、平均で厚み3センチ、傘の直径は10センチ以上にもなります。民宿前の杉林には「のと115」のほだ木数百本が整然と並びます。

しいたけのほだ木
しいたけのほだ木は、成長を見ながら順次袋かけされる

椎茸栽培作業は10月頃から本格化

まず原木の準備。コナラなどの紅葉が3〜4分頃に根切りします。2〜3週間葉干しして水分を抜き、枝を落します。直径15センチ、長さ90センチに玉切りし、運び出します。このような作業にも里山の管理や循環の一端が自然に行わ
れているのです。昨今では、森林組合などで原木を入手することができるようになったものの、重労働のため原木栽培をやめる家が多くなったそうです。

しいたけの袋かけ作業。500円玉くらいの大きさになると、一個一個袋をかける。かたちよく肉厚に育てるために欠かせない作業。
しいたけの袋かけ作業。500円玉くらいの大きさになると、一個一個袋をかける。かたちよく肉厚に育てるために欠かせない作業。

12月頃から植菌作業開始。収穫は早くて1年目から。2年目からはたくさん収穫できるようになります。旬は2月から4月。原木の寿命は4年。毎年収穫できるように植菌し、世話を繰り返します。
近隣の専業農家では3000〜5000本管理しているそうです。シーズン中は作業体験ができますのでお問い合わせください。

昔から珠洲や輪島の気候風土が、炭と椎茸作りに適しているといわれます。しかし原木栽培は天候によって収穫量が左右されるため、湿度と風通し、日射の割合に苦心する。今年は全般的に不作だったとか。弾力ある食感と噛みしめたときの甘を楽しむため「生」がブームを呼んでいます。一個200〜300円ほど。乾燥物も肉厚で歯ごたえ充分の「高品質どんこ」として流通します。程よい香りで他の食材の味を邪魔しないところも良いところ。さてそのおいしい食べ方とは。

コックさんは奥様のふみえさん

お料理担当は、奥様のふみえさん。 シンプルに焼いたアツアツのしいたけに醤油やポン酢をたらしたもの。バター焼きに自家製ソースをかけた「椎茸ステーキ」は、「プリプリしてアワビのような食感だ」と絶賛する方もいる。定番の天婦羅や煮物、鍋物の他に、素揚げで甘酢アンにからめたもの。ゴロゴロとした角切りをカレーの中に入れたのは意外と美味しい発見。

奥様のふみえさんはのとてまりをおいしくお料理します
奥様のふみえさんはのとてまりをおいしくお料理します

そんな「のと115」の美味しさに、すっかり惚れ込んだ東京在住の方は原木オーナーになりました。「椎茸は苦手だけど、この椎茸は食べられる」とおっしゃる方も。旬の2月から4月頃にわざわざ食べに来られる方もいるほどの人気ぶりです。ファンの期待に応えるべく、弘吉さんは今日も椎茸栽培と釣りに精を出し、ふみえさんは新たなレシピ作りに励んでいます。

のとてまりのしいたけ丼
のとてまりのしいたけ丼

のとてまりを丸ごとステーキ風に焼いて、自家製ソースをかけた、しいたけのステーキ
のとてまりを丸ごとステーキ風に焼いて、自家製ソースをかけた、しいたけのステーキ
のとてまりの規格外の小粒は串焼きに
のとてまりの規格外の小粒は串焼きに

しいたけの栄養

しいたけは低カロリーで、ミネラル・食物繊維が豊富。特に生活習慣病や便秘改善など、腸内環境を正常に保つ優良な食物です。

◉便秘予防
 豊富に含まれる食物繊維により排便をうながし、腸内環境を正常に保つ働きがあります。また大腸がんなどの発がん物質の排泄も期待されます。
◉生活習慣病予防
 コレステロールの量を調整するエリタデニンを含んでいます。このエリタデニンは、キノコ類の中で特に椎茸に多く含まれます。悪玉コレステロールを減らして善玉コレステロールを増やす作用により、動脈硬化の予防や高血圧などの生活習慣病の予防に効果が期待できます。
◉骨を丈夫にする
 椎茸を日光にあてるとビタミンDが増え、カルシウムの吸収を高め骨を丈夫にする働きがあります。
 他にも、ビタミンB1・B2が野菜類の約2倍多く含まれ、カリウム・亜鉛・鉄などのミネラル成分もバランス良く含まれています。

奥野弘吉さん

田舎暮らし体験が思いのまま叶う農家民宿の主。椎茸栽培の他に、宿泊客に釣りの穴場を案内したり、パンフレットにない観光ガイドももってこいです。自作したピザ窯で生地から作って焼いたピザを味わう、オール「じぶんちのピザ」で楽しませてくれます。

奥野ふみえさん

ふみえさんは、地元食材を使ったレシピを開発したり、焼きアゴなど地元食材の加工にも精を出す。地元活性化の集まりにも積極的に足を運びます。野菜やハーブ作りも楽しみの一つ。

農家民宿
しいたけ小屋「ひろ吉」
〒927-1463 珠洲市三崎町雲津ト-39-1
TEL&FAX 0768-82-3178
URL http://www16.ocn.ne.jp/~hirokiti/
能登半島の先端で椎茸の原木栽培体験や、ピザ焼き、蕎麦うち体験が出来る
農家民宿を営んでいます。『田舎の親戚に泊まりに行こう』そんな軽い気持ちで
是非お越しください。おいしい椎茸と新鮮なお魚料理でお待ちしています。

しいたけ小屋ひろ吉の奥野広吉さんご夫妻
しいたけ小屋ひろ吉の奥野広吉さんご夫妻

Fのさかな21号アマエビより

「能登の里山里海」が日本初、FAOの世界重要農業遺産に認定

「世界農業遺産」、正式には「世界重要農業資産システム」(GIAHS¦ジアス)は、国連食糧農業機関(FAO)が2002年からはじめたプロジェクトで、次世代に継承すべき農法や生物多様性などを持つ地域の保全を目指しています。

FAOでは、世界各地には多様な自然資源に基づく地元に適合した管理手法により、何世代にも亘って農民や遊牧民によって生み出され、形づくられ、維持されてきた固有の農業システムや景観があるとしています。

七尾湾沿いを走る能登鉄道
七尾湾沿いを走る能登鉄道

さらに、その独創的な農文化的システムによって、優れた景観や世界的な農業的生態系の多様性の維持と適応、土着の知識システム、回復力に富む生態系がもたらされただけでなく、多角的な商品やサービスの継続的な提供、食と暮らしの安全、生活の質が保たれてきたことを指摘しています。

2011年6月、「能登の里山里海」(石川県能登半島)が「トキと共生する佐渡の里山」(新潟県佐渡市、2011年6月)とともに先進国では初めて、世界農業遺産に登録されました。大きな川がなく、里山がそのまま里海に続く能登では、農林水産業が密接に生物多様性を育み、農村文化、景観を形成する重要な役目を果たしてきました。

能登の里山や里海が環境保全だけでなく、農業のありかたとしても国際的評価を受けた形です。

世界の飢餓対策に取り組むFAOが、食糧増産のために農業の効率性を高めるのとは全く逆に、伝統的な農法の見直しを強めていることは意義が大きく、食糧自給率の低さが問題になっている日本にとっても、今回の登録は今後の農業の在りかたに一石を投じたといえましょう。

大敷網漁(定置網漁)では、ブリ、アジなどが水揚げされる
大敷網漁(定置網漁)では、ブリ、アジなどが水揚げされる
千枚田の田植えボランティア
千枚田の田植えボランティア

何百年、何世代にもわたって能登を育んできた里山里海と伝統を、地域の人々は協力しながら守り育ててきました。今回、世界農業遺産に認定されたことで、私たちは時代や環境の変化に適応しながらも伝統的な農法や土地利用などの知識、農業景観、農耕儀礼などの農村文化を守っていかなければなりません。また、自然環境を保ち、生態系や生物多様性などを育んでいくため、よりいっそうの持続的な取り組みが求められます。

しかし高齢化が進み、後継者不足が深刻な能登地域の農家だけでは維持が難しいのが現状です。そこで農地のオーナー制度を設けるなど、「能登の里山里海」を日本の財産として後世に残す積極的な活動が必要とされています。

「世界農業遺産」は、ユネスコが提唱する世界自然遺産や世界文化遺産に比べると分かり難いかもしれません。NPO法人「生物多様性農業支援センター」の原耕造理事長は「遺産登録で目指すべきは観光活性化ではなく、自分たちの価値を知り意識改革すること」と指摘しています。

例えば、山本作兵衛氏が描いた「筑豊の炭鉱画」が世界記憶遺産に選ばれて再評価されたのと同じく、地域の財産に光をあてることが必要なのです。

日本の農業は食糧の生産についてのみ議論されますが、『農』は命を育み、季節を感じ、永遠の時間や自然と一つになる「命の生産」であり「命の単位」です。また『業』は生産の向上や規模の拡大、品質の向上を示す「金の単位」です。「農業」という言葉を、命を育む『農』と生産・労働としての『業』に分けると、日本では『業』の視点でしか議論が行われていないように思います。この二つをあわせることで、ようやく農業を論じるスタートラインにたてるのではないでしょうか。

日本には復元力が強い照葉樹林の原生自然があり、そこから生まれた豊かな滋味のある水が河川に流れていきます。さらにその水は人が関わる人工の自然「里山」や「水田」を経て、豊かな「里海」に繋がります。この水の循環こそが、日本の自然の豊かさなのです。一部の地域や取り組みにだけ注目するのではなく、各地の「農業遺産」を再発見することで、日本の豊かな自然や農業を守りましょう。

能登ではこの地域が「世界農業遺産」に登録されたことを歓迎していますが、現実を見れば課題が山積みです。特に農業に携わる人の不足は深刻で、能登の四市五町の農業人口は人口全体のわずか5.5%でしかありません。しかも平均年齢は67.6歳を上回り、中には70歳を超えるところもあります。

日本では食糧自給率の低さが問題になっていますが、2007年度に石川県が奥能登の農家に向けて行ったアンケートでは、7割の農家が10年以内に農業をやめたいと答えています。

ヨーロッパではGAP(農産物の品質改良基準)がきちんと設けられ、GAPを達成した生産者に対して直接支払が行われます。

GAPは「農業者の生産における責任」を明確にしたものですが、日本においてはGAPも商品を差別化するという戦略の一つにされる恐れがあります。

日本では今のところGAPのような明確に農家を評価する基準がないため、農業を守るためのまとまりがないことも問題かもしれません。

いずれにせよ、農業が収入を得られて働くことに誇りを持てる職業であること、生活するのに魅力のある地域であること、自然と人間がつくりあげた里山のような環境を保全することなど、登録された農業遺産を守るためには継続した地域づくりが必要です。

日本で唯一、揚げ浜式の塩づくりが今もおこなわれている
日本で唯一、揚げ浜式の塩づくりが今もおこなわれている
イサザ漁
イサザ漁

Fのさかな21号アマエビより