お寺の魚と精進料理

精進料理でタブーとされるなど、仏教と魚は縁遠い存在のように思える。しかしこの2つには、切るに切れない関係があるという。その不思議な関係を、能登でも古い歴史を持つ、
輪島市門前町の聰持寺祖院でうかがった。

お寺で見つけた魚達

仏教と魚。精進料理でタブーとされるなど、縁遠い物のように思われるが、実はおもしろいつながりがあることをご存知だろうか。
お経を唱える際に打ち鳴らす木魚はその名の通り魚をかたどった物。この木魚の起源ともいわれる物に、魚そのものの形をした魚鼓というものがある。これは修行中の雲水達に食事の時間を知らせる合図に使うものだ。なぜ魚の形をしているのか、お坊さんにうかがった。
「昔の人は、魚は目を開けたまま眠らないと思っていたんですね。目を開けたまま、怠らない、ということなんです。怠らない魚にならって、自分たちも修行を怠らないように、魚を象ったんでしょうね。」と教えてくれたのは、輪島市門前町の総持寺祖院で単頭を勤める役寮の大橋さん。「この魚鼓をぎゅっと曲げたのが木魚なんです。だから木魚は本来なら左右対称ではないんですよ。」語りながら大橋さんはやわらかにほほえむ。「禅宗では修行中はしゃべらないのが基本で、鐘や鼓の音だけで行動します。だから叩き方にもルールがあるんですよ。」と、実演してみせてくれた。座禅堂に木魚とも太鼓とも少し違う、魚鼓独特の少しこもった木の音が響きわたる。不思議と心が穏やかになる音だった。
「魚は他にもいるんですよ。」案内されたのは、法堂の正面。美しい彫刻がほどこされており、門の両側を鯉がさかのぼっている。さらにその上をあおぎ見れば立派な龍が彫られている。「登龍門の故事になぞらえているんでしょうね。」

F13-総持寺-27

天井から吊り下げられた巨大な魚鼓
天井から吊り下げられた巨大な魚鼓。お腹を長い棒で打ち鳴らすとくぐもった木と木のぶつかり合う音が、静かな座禅堂に響きわたる。

精進料理と食育

総持寺祖院は曹洞宗の寺院だが、その開祖である道元禅師は、日常の全てが修行であるとし、中でも「食」を重視していたという。この事を象徴するように、食事を作る者の心得を説いた「典座教訓」と、食べる者の心得を説いた「赴粥飯法」という書がある。これらは、今から750年以上も前に書かれたものだが、現在の食育にもつながる「食」に対する心得が記されており非常に興味深いものだ。たくさんの心得の中で特に重要なものに、三心・三徳・六味・五色・五法、そして五観の偈がある。せっかく総持寺祖院にお邪魔したので、典座を勤める藤井さんにもお話を伺ってきた。ニコニコと笑顔を絶やさず、どんな質問にも気さくに答えてくださった。

色とりどりの精進料理
色とりどりの精進料理。もちろん素材に肉や魚は使われていない。山の永平寺、海の総持寺と言われるように、クロモやワカメなど海藻をよく使う。ちなみにこれは来客用の食事で、実際に雲水達が食べている食事は、ご飯とみそ汁に油揚げだけ、などずっと簡素なものだそうだ。修行体験を通して、地元の小学生達にも食の大切さを伝えている。

「三心というのは、供養させて頂いているという喜びの喜心、老人が子や孫を想う様な老心、一歩退いて自分がおかれた大局を見る大心の三つの心こと。三徳は、軽い味あっさり味を心がける軽軟、器も何もかも綺麗にという浄潔、理に適った作り方をする如法作の三つの心得です。六味というのは、本当は苦さ・酸っぱさ・甘さ・辛さ・塩辛さの五味なのですが、パッと何味というのではなく、空気の様で、あとから思い返す様な味、淡味を加えて六味と言っています。大根の白など素材の色、白・黒・赤・緑・黄の五色を生かし、生・煮る・焼く・蒸す・揚げるの五法をもって食べる人の事を想って作りなさいよと、こういうわけですね。そしていただく時も、ただ貪るのではなく、この食事ができるまでに関わったもの全てに感謝し、自分がこの恵みをいただくに値するかを反省し、どんな食事でもありがたく、自らを生かすための薬として頂くのだと心得て、また仏の道を全うするためにいただきます、という五観の偈を唱和して、それからいただくんですよ。」

龍や鳳凰、鶴亀など、様々な生き物が彫られた法堂の勅使門
龍や鳳凰、鶴亀など、様々な生き物が彫られた法堂の勅使門。扉の両脇に数匹の鯉が滝を登る姿がある。今にも動き出しそうな迫力に思わず圧倒される。

※雲水 禅宗の修行僧の事。雲や水のようにひとところにとどまることなく、さまざまな師をたずね仏道をたずねた事から。
※単頭 雲水の指導・教育の責任者。六知事の一つ。
※典座 厨房の責任者。料理長。六知事の一つ。

Fのさかな13号サケより

河豚の卵巣の糠漬け

実はひそかに食べられていたふぐ

日本発掘文献によると、貝塚から、多数のフグの骨が出土しています。フグは、縄文の昔からすでに食用されていたようです。しかし、安土桃山時代、朝鮮出兵の際、九州に集められた武士たちがフグを食べて多くの人が中毒死したことが原因で豊臣秀吉は「河豚食用禁止令」を発令、徳川の時代へと引き継がれていきましたが、ひそかにフグは食べられていたようです。芭蕉や一茶の俳句の中にも登場したり、「フグは食いたし命は惜しし」ということわざもあるほど、フグの美味しさが浸透していったことがうかがわれます。明治時代、時の総理大臣伊藤博文が下関でフグを食べ、その美味しさに感動し、山口県に限りフグ食を解禁します。その後フグ取扱い条例が定められ西日本を中心に全国に広まりました。

ふぐの卵巣糠漬けを加工しているのは全国でも石川県と新潟県だけ
ふぐの卵巣糠漬けを加工しているのは全国でも石川県と新潟県だけ

加賀藩とフグ

加賀藩の江戸屋敷跡(現、東京大学本郷キャンパス)から、石川県でおなじみの、イワシ、サバ、ブリ、タラの他、フグの骨がたくさん出土されています。国元で獲れた魚を何らかの方法で江戸まで運んで加賀藩士たちが、食べていたと推測されます。

金沢市立玉川図書館近世資料館に、加賀藩江戸屋敷に住んでいた武士の日記の一部が残され、フグの糠漬けのことがでてきます。江戸時代のいつとは限定できませんが、フグの糠漬けは作られていたようでした。また江戸時代中期から明治時代にかけて日本海の海運をになっていた北前船は、大阪・瀬戸内海・山陰・東北・北海道までさまざまな荷物をおろしていた記録に、「佐渡、御国より鰒の子」「鰒の子」とは「フグの卵巣」「御国」とは加賀藩の輪島港とおもわれます。フグの卵巣が積まれた港が「新潟県の佐渡」と「石川県の輪島」降ろされた港は美川。いずれもフグの卵巣を食べる習慣が現在も残っている地域です

左:加越能諸湊家人数等取調書〈金沢市玉川図書館近世史料館所蔵〉 右:加越能湊々高数等取調書〈金沢市玉川図書館近世史料館所蔵〉
左:加越能諸湊家人数等取調書〈金沢市玉川図書館近世史料館所蔵〉 右:加越能湊々高数等取調書〈金沢市玉川図書館近世史料館所蔵〉

幻の珍味

石川県は、珍味の里!なまこ・くちこ・このわた・いしり・黒作り(いか)・つるも(海藻)・等々なかでも、猛毒の「ふぐの子」を塩と糠に漬けることによって無毒化した「ふぐの子(卵巣)糠漬け」という幻の究極の珍味があります。

風味の良いことから、加賀藩主に代々珍重された、世界的にも珍しい食品は、毒を抜くためには3年という長い年月が掛かるそうです。食べても安全、深い旨味をもった「フグの卵巣」の糠漬けは、全国で石川県のみ製造することを許可されています。県より、許可を受けた資格者が、定められた基準をクリアした施設内で加工処理をしてから、毒性検査などを経て安全が確認された上で販売されています。製造するのは県内でも美川・輪島の数か所しかありません。

加賀や能登地方には古くから、沿岸で獲れた魚(ふぐ・にしん・いわしなど)を米糠や酒粕にて樽漬けする風習があり、非常食や冬場のたんぱく源として作られたようです。当時のおもかげを残す船蔵は、樽を置く倉庫として今も使われています。

Fのさかな14号フグより